頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書)
頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書)


 期待してなかったが、意外と面白かった。基本的に「頭が悪い人の話し方」を様々な例を用いて紹介しており、それをしないように注意すればあなたは頭がいい人と見なされる・・・・・・というスタイル。
 けれど、どう考えてもこの本に紹介されている全ての事例を回避している人物など存在するはずが無い。
 個人的には、ずばり自分に思い当たる事例がいくつもあって、なんだか頭が痛くなったけれど、それを自覚して少しずつ頭がいい人としての話し方を意識すればいいかな・・・・・・くらいに思った。
スタイル:ノンフィクション(新書)
評価:☆☆☆

2007.09.29 Sat l ノンフィクション l COM(0) TB(0) l top ▲
明日、自殺しませんか―男女七人ネット心中
明日、自殺しませんか―男女七人ネット心中


 こういう本を買う時は、少し勇気がいる。会計の際に店員は特に意識していないかもしれないが、なるべくタイトルを見られないように、裏表紙を上にして、店員に渡す。電車内で読むことを考慮して、カバーも掛けてもらう。何故だろう。自意識過剰なのだろうか。別に、僕自身が今自殺したいとかそういう気持ちは全く無いのだけれど。しかも、別に電車内でこの本を僕が読んでいたとして、そのタイトルを誰か他者が見てどう思おうが僕は一向に構わないのだけれど。
 ということを書いておきながら、僕はやはり、自殺という言葉に異様に反応してしまう。やはり他者の視線を気にしているのだろうか・・・・・・。

 この本は数年前に多発していたネットによる集団自殺について書かれたノンフィクションだ。男女7人による煉炭自殺によって知り合いを亡くした人がこの本を書いている。この著者は自殺した人物に対し知り合いではあったが、そこまで深い関係ではなかったようで、何故その人物が死ん出しまったのかを知りたいと思い、この本を書くことを決意したようだ。
 けれど、人が自殺をする理由なんて、これだと言えるものがあるとは思えない。一言で片付けられるのなら、とっくに片付けて今も生きていると思う。前にも、書いたことがあるかもしれないが、自殺をするというのは、その気持ちが高まった瞬間でなければいけない。タイミングというものがある。逆にそれを逃すと、自殺したくても出来ない。
 このタイミングは、集団で自殺をするという強制性を持たせることにより、強引に作り出すことも可能だ。自分一人では怖くて死ねない人も、他の人が一緒なら死ねるという考えは、裏を返せば、一緒にいる人達も死ぬのだから私も死ぬしかない、という決断を自分に強いる理由獲得にもなる。

 現在では、集団自殺を規制する為、条例や自主規制等により、自殺を呼びかける書き込みをする掲示板自体を削除する傾向が強い。けれど、そういうことを行っても、実際に生きにくさを感じている人達を減らせるわけではない。もちろん、こういった規制自体は必要だがそれにプラスして、現代の社会について、心に傷を負う人たちがどうすれば生きていけるのか、そういったことについて、具体的な方策が話し合われなければならない。

 自殺志願者に明日、自殺しませんかと呼びかけるのではなく、明日も、生きていきませんか・・・・・・そう呼びかけるのは酷だろうか。確かに生きることは辛く苦しい時もある。けれど決してそれだけじゃないはず。生きていれば良いこともあるさ、なんて言いたいわけじゃない。でも、生きていても良いことなんて何もない、とも思わない。良いことも悪いこともあって、それが生きるということなのだから。自分で死を選ぶということは、これから良いことがあるかもしれない可能性を全てゼロにして無になるということだ。それさえも受け入れて、これまで自殺していった全ての人たちは・・・・・・この世では無い何処かで幸せになれただろうか。
 
スタイル:ノンフィクション(文庫)
評価:☆☆☆

2007.03.25 Sun l ノンフィクション l COM(0) TB(0) l top ▲
問題少女―生と死のボーダーラインで揺れた
問題少女―生と死のボーダーラインで揺れた

 年間3万人を越える人たちが自分の命を絶っている時代だ。この本で紹介されている少女も、特に珍しいケースではないのかもしれない。しかし、この本を読むことで見えてくることがある。当事者で無ければ分からないことが、僕にも少しだけ見えてきた。
 まず、現在の精神医療の問題点がこの本では浮き彫りになっている。精神科医とカウンセラーの間に、しっかりとした連携が成されていない場合があるということ。特に、この本のケースではそれが顕著だ。実際に精神科医とカウンセラーの間に、診断のズレがあった。
 そしてもう一つは、カウンセラーの質。近年、心に病を抱える人は増加している。家族の問題、学校の問題、会社の問題・・・・・・様々なことが挙げられるだろう。政府は、ただ単にその場所にカウンセラーを配置すれば良い、増員すれば良いと言う。しかし、これは本質を見誤っている。カウンセラーを増やせば問題は本当に解決するのだろうか?果たしてそのカウンセラーは、しっかりとした知識を持ち、独りよがりになることなく公平な診断をし、何よりも患者を最優先に考えることが出来る人物だろうか?
 この本に出てくるカウンセラーは、素人目で見ても、明らかにカウンセラー失格なのだ。このカウンセラーはユングに傾倒しすぎていて、患者の夢で全てを診断していたような節がある。最後には少女に対して、「霊とか魂の専門家を紹介します」と言っているのだ。ユング派が全て悪いとは思わない。実際にこの本で書かれているように、ユング派の人たちがいることにより、救われている患者もいるのだから。ただ、それにも限度があるだろう。誰が、好き好んで、先ほどのような言葉をさも当然のごとく言うカウンセラーに診てもらいたいと思うだろうか。いや、もしかすると、精神が弱っている状態においてはそれが、神の言葉に匹敵するほどの価値があるのかもしれない。そうすれば一時的にでも救われるのかもしれない。しかし、それでは本質を見誤っているように思えてならないのだ。
 そもそも、僕がこの本を読む前に思っていたカウンセラーというのは、しっかりとした幅広い知識を持っていて、客観的にアドバイスをくれる人たちだと思っていた。しかしながら、これはただの理想であり、実際には明らかに力不足であったり、自分の考えを意固地に推し進めようとしたり・・・・・・といった人も少なからずいるということらしい。この状態は今すぐにでも改善しなくてはいけないだろう。
 
 人が死んでしまう理由はたった一つだけじゃない。学校でいじめられて自殺した・・・・・・その全ての子どもたちがいじめられたことだけを苦にして自殺したのではないだろう。きっと色々な小さなことが積もりに積もってある時に境界を越えて溢れ出してしまって、一線を越えてしまったのだろう。そういう意味で、人が自殺をした場合、単純に原因を割り出そうとすることは、単に残された者達の「分かったつもり」を促す行為でしかないということを僕たちは肝に銘じなければならない。
 その上で、どのようなことが自殺の抑止に繋がるのか。この問題少女は、自殺行為をする直前に誰かに小さなSOSを発している。ただ、それに気付くことは非常に難しいと言わざるを得ない。よって、そこまで到達してしまう前に、何らかの形でケアをしなければならない。まず、精神、心療内科、カウンセラーの質の拡充が不可欠であることは言うまでも無い。その上で、不足しているならもっと充足する処置をする。また、自殺、自傷を繰り返す人はしばしば、孤独である。この本の問題少女には、「彼氏」がいたが、それは一対一の密で閉じた関係でしかない。彼女には本当の意味での友人が一人もいなかった。そのことが、自殺の直接の理由と言いたいわけではない。ただ、もっと他者との交流をしていたら・・・・・・線ではなく、網の目のような交流を出来ていたら・・・・・・彼女は死ななかったかもしれない、という著者の言葉にはっとさせられた。
 人との関係で傷付いた心は、でも、人との関係でまた少しずつ回復していくのだ。人間は一人では生きられない。この事は裏を返せば、1人で生きていってはいけないということのなのだ。無人島で一人で何年も暮らすのには、ものすごくタフな精神力が要る。でも、僕たちにそんな力は要らないのだ。誰もが他者を必要としていて、それで良い。一人で生きていけるなんて、それはやっぱり嘘で、かといって、他者を全面的に信頼できるかと言ったら、それも嘘で・・・・・・だから、まず自分で自分を信頼して、その上で他者と生きていくということが自分にとってプラスになる・・・・・・というのが理想であろう。

 余談だが、この本は、内容的には良い本だと思うが、カギカッコの言葉が、誰の言葉なのか曖昧な箇所が幾つか在ったり、時間軸が前後した文章記述になっている箇所があったり(これは作者が意識的にそうしたのだろうが)という点で、少し読みにくい。もう少しスッキリ書けたのでは?ということと、この著者自身の主観が入りすぎていて、客観化され切っていないという印象を受けたことが最後まで尾を引き、評価が低くなった、ということだけ付け加えておく。
スタイル:ノンフィクション(ハードカバー)
評価:☆☆

2007.01.23 Tue l ノンフィクション l COM(0) TB(0) l top ▲
頭上の異界 不信の国の若者たちと重大少年事件
頭上の異界 不信の国の若者たちと重大少年事件


"人との関係のなかで歪んだ部分は、人とのかかわりのうちで癒えるはずである。――"『頭上の異界』より抜粋
ジャンル:ハードカバー
評価:☆☆☆☆☆
少年犯罪の増加・・・・・・そういったことが声高々に叫ばれているが実際はそうではない。単純に検挙率が上がっていること、それと共に、これまでではあまり考えられないような残忍な殺人事件が一部に見られ、それらがメディアによって過度に脚色されて放送されることで、その影響を受ける国民の認知が変化したことが大きい。

この本の著者は、法務省矯正局で「矯正教官」として37年間に渡る経歴の大部分を医療少年院で医者として過ごし、終わりの12年間を院長を兼務して処遇の調整役にあたってきた。
医療少年院とは、家庭裁判所の審判決定で少年院に移送される少年のうち、心身に著しい故障があるためにまず医療を要する者を広域から収容し、機能を高める必要から「病院」の認可を受けている場所である。(『頭上の異界』より抜粋)
ここでは、疾病の治療と並行し矯正教育も行われている。

この本を読んで、これまで知らなかった世界が見えてきた。少年院という場所では、一体どのようなことが指導されているのか?陰惨な殺戮をした少年たちは、少年院に行き矯正を受けて2〜3年で社会に再び出てくる・・・・・・それは被害者にとってあまりにも短すぎはしないだろうか?そんな疑問は前々からあった。だが、僕は知らなかった・・・・・少年院という場所を、そこで働く矯正教官の驚くほど真面目で忍耐強い姿勢を。

本の内容にも少し触れておくと、第一部では医療少年院についての概略と、これまでの少年犯罪の歴史、犯罪を犯した少年たちの分類、精神障害が疑われる少年たちのそれぞれの病名の説明とそれに対する事例の提示がされている。実際に事例を紹介していることで、例えば、アスペルガー症候群とはどういう病気であるか?その病気にかかった少年はどのような思考をするのか?ということを知ることが出来る。
第二部では、いわゆる「いきなり型非行」(これまで犯歴も無く、一見真面目そうな少年がいきなり凶悪殺人等を犯す例)について描かれている。これについて、著者は、存在しないと言っている。つまり、犯罪を犯す前に少年たちは何らかの問題行動や問題のある状況を抱えていたと指摘している。そして、それに気付かずに、そのまま放置しているこの国の社会自体に非があると言っている。その具体例として家庭環境その他幾つかが提示がされていて、興味深い。
第三部(最終部)では、実際に著者が関東医療少年院で働き、その上での治療と教育についてである。ここでは、治療者側からの視点に重点を置いている。

この本は読みやすい。確かに、専門書にはなるかもしれないが、著者の筆力はかなり優れているので、その印象をあまり受けない。何より、著者自身が本の中で述べているように、若者に向けて書かれた本であるからでもあろう。その点で、より多くの人にこの本を読んで欲しいと切に思う。

凶悪犯罪(殺人など)を犯した少年に対して、一律に死刑にすれば良いとは僕は思わない。もちろん被害者の気持ちを考えれば、死刑にしろ、無期刑に・・・・・・と望む気持ちは当然あるだろう。でも、厳罰化したからと言って、果たして本当に少年犯罪は減るのだろうか?もしかしたら、それによって、一時的に減るのかもしれない。けれど、それは問題の根本の解決には何ら至っていない。彼らの幼い頃からの環境、家族・・・・・そういうところに問題は潜んでいるのではないか。そこを改善しないでただ厳罰化すれば良いというものではない。

3年やそこらで社会復帰するのは早すぎる・・・・・そう思っている人たちの一体何人が、少年院とはどういう場所でどのような矯正が行われ、そして犯罪を犯した少年たちがどのような境遇を抱え、どのような思考をしているのかを推し量ったことがあるだろうか?
日常世界でそれを知ることはなかなか困難であるが、この本を読めばその一端は少なくとも知ることが出来る。

少年犯罪を語る、考える上で必読の一冊。
2006.05.27 Sat l ノンフィクション l COM(0) TB(1) l top ▲
遺書―5人の若者が残した最期の言葉
遺書―5人の若者が残した最期の言葉

”「基本的には、生真面目な子どもでしたね。曲がったことは許さないという。結果的にはそれがあだになってしまったのかもしれません。十三年間で私の人生分くらい濃い生き方をしていたのでしょう。とにかく手のかからない子どもでした。今思えば、もっと迷惑をかけてほしかった。どんな親でも、子どものしてしまったことは許せるし、受け入れられる。それを受け止めるのが、家族の役目なんですから」――”『遺書−5人の若者が残した最期の言葉−』より抜粋
ジャンル:ノンフィクション
評価:☆☆☆

人は生まれてくることを選択することは出来ない。けれど、死に関しては選択の余地がある。それは自分で自分を殺すこと。もちろん、それ以前に不可抗力で死んでしまう場合もあるだろうが、そうでなければ、僕たちには常に、生きるか、死ぬかという選択肢が与えられていることになる。

この本は13歳から25歳までの若者が残した遺書と、彼等が自殺に至るまでの経緯、そして最後に、遺族から彼らへ宛てた遺書への返信が書かれている。

なんで生きられなかったのだろう・・・この本を読了してそう思った。自殺した彼らが、ものすごく苦しんだことは分かる。だから、僕は彼らを責めることは出来ない。でも、死を選ぶにはあまりにも早すぎたのではないかという疑念はずっと消えなかった。10代、20代で自ら命を絶ってしまった彼らに待っていたのは、果たしてどこまでも続く絶望の道だっただろうか?いや決してそんなことは無いはずだ。
人生には闇があれば光がある。それを知る前に彼らは死んでしまったのかもしれない。

ただ、人間は本当に弱い生き物だ。
目の前の闇があると、そこから自分は逃れられないと思い込んでしまう。立ちすくんで、泣き叫んで、それでもどうにもならないと知った時、その「どうしようもなさ」は巨壁のように彼らの前に現れる。そしてその前では、彼らの思考が一気に死へと傾斜していく。

「死」を選ぶしかない状況・・・。
死ぬことが怖くない人間なんていない。
彼らはものすごく勇気を振り絞って自ら命を絶ったはずだ。逆にいえば、何故、そこまで彼らは追い詰められなければならなかったのか。「死」という途方も無い恐怖を受け入れてまで、逃げたかったものは、何だったのか。いじめ、鬱・・・これらも理由の1つに挙げられるだろうけれど、そこにはとても言葉では表せられない複雑な心情があったはずだ。しかし、彼らはもうこの世にはいなくて、だからそれは永久に謎のままだ。

僕は、正直、この本を読み進めることが、ものすごく困難だった。彼らが生きていたら知ることが出来ただろういろいろな可能性、彼らの周囲の人々(家族を含む)が一生背負わなければならない彼らとの思い出・・・そういったことを考えていたら、ものすごく悲しくなって涙がこぼれそうになった。

人間には寿命があって必ずいつかは死ぬ。例え、どんなに死にたくなかったとしても。自殺した彼らだって、本当は死にたくなかったに違いない。でも、それ以外に彼らの酷い現実から逃げる手立てが考えられなかっただけなんだ。誰かに助けを求めていれば、彼らはもしかしたら今も生きていたかもしれない。あの時はあんなこと考えていたよな・・・なんて、笑いながら振り返っていたかもしれない。でも、それが出来なかったから、彼らは死んでしまったんだろう。

僕は、この本に出てくる彼らを否定も肯定も出来ない。赤の他人である彼らの気持ちが理解できるはずも無いし、それを理解できるという人は、実は何も理解していないに等しい。

でも、ただ悲しいのだ。
彼らがもうこの世界に存在しないことが。
ものすごく深い喪失感。僕はただ、この本を読んで、
ある事実を知っただけのことだ。
自殺してしまった家族や知人にしてみれば、
その喪失感は僕が感じた比ではないはず。

死は、確かに選択可能だ。
でも、それを選択したら必ず誰かが悲しむ。
けれど、当人にとってみれば、もう死ぬしかないと思っている。
そんな時、彼らが悩みを誰かに話せるといい。
そして彼らの悩みを黙って聞く姿勢を持ちたい。

「彼ら」なんて、形容しているけれど、
僕だって死にたいと思ったことは何度もある。
結局は、お互い様なんだ。
僕が辛い時は、君に話すから、
君が辛い時は僕が君の話を聞くよ・・・と。
そんな人間関係が築けるといい。
これは本当に難しいのだけれど・・・。

2006.05.06 Sat l ノンフィクション l COM(8) TB(1) l top ▲