「むなしさ」の心理学―なぜ満たされないのか (講談社現代新書)
「むなしさ」の心理学―なぜ満たされないのか (講談社現代新書)


 この本の副題は「なぜ満たされないのか」。97年に発行されているこの本が、今読んでもほとんど色褪せていないのにまず驚く。もちろん、事例については既に過去のものではあるのだが、若者が抱えている心のモヤモヤとした感覚や虚しさは、現代でもほとんど変化していないように思う。
 この本では、心理学的側面から、この「むなしさ」を解消しようと提案している。具体的にいえばフランクル心理学である。
 僕はこの心理学について詳しく知らないので、この本で紹介されていることをまとめてみると、つまり、人は自分で生きているのではなく、「生かされている」という考え方をする。人間の欲望には果てが無い。幸せになりたい・・・・・・そう思うことにも際限が無い。だから、「むなしさ」が生まれる。この事から解放されるには、自分の心のうちにある何かに静かに耳を傾ける。また、他者との繋がりを大切にし、どんな些細なことでも意味があると説く。
 なるほど、確かにそれも一理ある。人間がなぜ生きるのか?を悩んだ時に、「その答えはすでにあなたのなかにあるのだから、悩む必要など無い」と言われれば、そうか・・・・・・と納得できる人もいることだろう。 けれど、僕はそこでどうしても納得が出来ない。結局の所、「むなしさ」や「生きる意味」に対して普遍で明確な回答など無い。人それぞれに違って、そのどれもが正解であるが、それが他者にとっては正解ではないことがしばしばある。
 僕は僕の、あなたにはあなたの、「むなしさ」から解放される道がきっとある。それは、この本を読んで、見つかるかもしれないし、全く別の何かから得られるかもしれないし、一生見つからないかもしれない。
 けれど、生きるということはつまりそういうことなのだ、と僕はいつもの無難な意見で、とりあえずここは終了する。こういった類の事は考え出すと切りがない。けれど、何故か考えてしまうものなのだ。
スタイル:ノンフィクション(新書)
評価:☆☆☆


2007.09.29 Sat l 考えたい気分 l COM(0) TB(0) l top ▲
「不安イライラクヨクヨ」がなくなる本―タフな自分をつくる心理技術
「不安イライラクヨクヨ」がなくなる本―タフな自分をつくる心理技術
 
 「誰かがいないと不安なんだよね・・・・・・私の周りに人がいないとそれだけで世界中でたった一人ぼっちのような気分になってしまう・・・・・・」
 「生きていても良いことなんて何もないんだよな・・・・・・結局、頑張ったって意味ないしさ・・・・・・誰も認めてくれないし・・・・・・一部の運が良い奴だけが勝ち残ってく・・・・・・ホント不公平だな」
 「何で私ばっかりこんな目に遭うの・・・・・・もう疲れちゃった・・・・・・誰にも頼れないし、誰からも愛されてないし、私。」
 ・・・・・・きっと、誰もが不安を抱えて生きている。どんなに楽観的に、何事も悩まないで生きているように見える人でも、きっとどこかで、弱さを抱えている。それが周りの人の目に映るか映らないかの差があるだけで。
 でも、きっとそれで良いんだと僕は思う。人間は本質的に弱さを抱えている。問題は、その弱さを抱えた状態にプラスして、気分が落ち込んでしまった時、どう対処するか?ということだ。好きな音楽を聞いたり、映画を見たり、運動をしたり・・・・・・これらは確かに一時的な逃避にはなる。いや、これらをするだけでも、日々のストレスや不安がキレイサッパリ拭えてしまう人ならそれで良い。けれど、それだけじゃダメな時がある。例えば、それは心に深く突き刺さったナイフのようにじわりじわりと日常生活にまで侵食してくる。そんな時、どうすれば良いのだろう?落ち込んだらその気分に任せるままにしていれば良いのだろうか?そうやってどこまでも落ちていって、一線を越えてしまえば楽になれるだろうか?
 
 ・・・・・・ここまで考えてしまったりしたなら、それはきっと考え過ぎている。悲観視しすぎている。悪い方へ考えれば悪い方へ物事は本当に進んでいく・・・・・・とこの本には書いてある。著者自身が心理学者のため、膨大な研究事例を用いて具体的に説明がされていて、非常に的を射ている感がある。
 この本は1回読んで終わり・・・・・・というよりも、気分がどうしても落ち込んでしまう時に、何度も読み返してみる・・・・・・という極めて実用的な本である。読み返すと言っても全てをもう一度最初から・・・・・・なんていうつもりはない。一度全てを読んだ後なら、目次をもう一度読み返すだけで良い。何しろ、その目次の部分の言葉が的確なのだから。
 僕自身、幾つかこの本のようなビジネス書や、心理学系の入門書を以前に読んだことがあるが、この本は本当に分かりやすく読みやすい。
 「生きる=辛い」と思っている人は、「生きる=面白い」ということを忘れてしまっている人だと思う。ユーモアを持っている人は、いつまでも楽しく生きられる。どうせ生きるなら楽しく生きていきたい。・・・・・・ここで、「でも私にはユーモアなんて無いし・・・・・・」と思った人にこそ、この本を読んでほしい。そういう人にこそ、この本が存在する意義があるのだから。
評価:☆☆☆☆
 
 
2006.12.18 Mon l 考えたい気分 l COM(0) TB(1) l top ▲
だれか、ふつうを教えてくれ!
だれか、ふつうを教えてくれ!


"人と接する際になにより大事なのは、誰にもあてはまるとは限らない事前の知識をため込むことではなく、いま目の前にいるその人をしっかり見据えることです。「その人」が障害者であろうが健常者であろうが、そのことになんら変わりはないのです。――"『だれか、ふつうを教えてくれ!』より抜粋
ジャンル:ハードカバー
評価:☆☆☆☆
この著者は全盲である。そして、僕のゼミの教授も実は全盲である。よって、この本はゼミの課題図書として選ばれ、その結果この本と出会うことになった。

「ふつう」という言葉がある。でもそれは誰にとっての「ふつう」なのだろうか?ということをこの本の著者は語っている。例えば、健常者が考える普通は障害者にとっては普通ではないということがしばしばありえる。その例として、駅のホームでの経験を彼は語っている。目が全く見えない人にとって、ホームの上を歩くということがどれだけ不安なことか(線路の上に落ちてしまう可能性があるため)、ということについて書かれているのだが、この記述を読んで、僕は初めてそのことに思考が廻った(目が見えない人の実際に感じる気持ちにまで考えが及んでいなかったという意味)。
これは裏を返せばそれまで、障害者の人たちがこの世界にいるということを認識はしていても、彼らの気持ちになってこの世界を見渡したことなど、それこそ学校で習う福祉の時間以外に考えたこともほとんどなかったということである。

おそらく健常者にとって、その人の周りに障害を持つ人がいない限り、自分と同じような思考をしている人たちは、まだまだ沢山いると思う。そういう人たちにこそ、この本を読んでもらいたいと思う。

そして、障害を持つ人を全てひとくくりに障害者と語ってしまうのも、どうだろうか?と彼は述べている。障害を持つ人の中には、軽度の人、重度の人がいる(実際にはそう簡単に区別できるものでもなく、その中間の人もいるであろう)。彼自身は、二十歳を過ぎるまでは道路の状態、障害物の有無を探る為の白い杖無しでも歩けるくらいの視力があったが、今は全盲である。よって、彼は、20歳までは軽度の障害者、今は重度の障害者(全盲)ということになる。この日本では未だに、軽度の障害を持つ人に対する配慮は欠けているという。駅の券売機に点字があって、全盲の人では点字を読める人がいる(それでも半数以下と言われている)けれども、軽度の人・・・弱視の人の中には点字を読めない人もいる・・・彼らは、券売機の小さな料金ランプを必死に読まなければならない・・・それが無理な場合、人に聞かなくてはならない・・・。

この事例の場合、ただもう少し弱視の人にも配慮したもの(料金ランプの表示を大きくするだけ)で良いのに、それが成されていない・・・という事は、これまで(現在も)、一般に社会は軽度の視覚障害者の人たちを無視しているという状態である。
この問題は早急に扱われるべきものであると考える。

障害者と健常者という区分けではなく、全ての人が使いやすいユニヴァーサル・デザインを普及させること、そしてこの考えが自分達の考えにも浸透すること、つまり、どれだけ自分以外の他者の存在に思いをめぐらせることが出来るのか?ということが必要になってくるだろう。

本自体は中学生以上を対象に書かれているので文字も非常に大きく、1時間以内で読めるものだ。でも、若者向けと侮ってはいけない内容である。
2006.05.31 Wed l 考えたい気分 l COM(0) TB(0) l top ▲
9月11日からの僕のこと
9月11日からの僕のこと

”「あの国のすべての国民を殺せ」
 多くのこの国の人たちがその声を聞く。僕は平常心ではいられない。興奮する。緩やかに興奮する。僕は何かを叫びだしたい。僕はこの国の国民ではない。だから僕は、殺されない。――”『9月11日からの僕のこと』より抜粋
ジャンル:小説?
評価:☆☆
この本は小説なのだろう。実際に著者は同時多発テロがアメリカで起こった時、その場所に住んでいたらしいが、この本自体は彼自身の単なる感想のみではなく、小説として構成されているから。
ただ、主人公がそこで感じたいろいろなこと、テロが起こる前と起こった後の圧倒的な違いが、次第に浮き彫りにされていく様は正に、その場所にいたからこそ、出来る描写であろうと思う。

余談だが、この本は登場人物の会話を、所々、英語のみで表記している。もちろん、難しくは無いのだが、果たして、全く英語が苦手な人がこれを読んだ時、理解できるだろうか?と考えると少し疑問が残った。かといって、和訳を入れたりすれば、それはそれで違和感が残っただろうし、難しい所ではあるけれど・・・。

あの日、あの場所で、確かに、生きていた人がいる。彼らは、この事件をきっかけに、「変わる」ことを余儀なくされる。この本はその彼らの気持ちを想像することに役立つだろう。
2006.04.20 Thu l 考えたい気分 l COM(0) TB(0) l top ▲
進化しない日本人へ―その国際感覚は自画像の反映である
進化しない日本人へ―その国際感覚は自画像の反映である

“隣に座っている妻が、
「日本の学校では、いつごろから背の順番に並ぶというやり方が定着したんやろか」
と、不思議がることしきり。確かに、オーストラリアやアメリカの学校には、私の知る限り、背の順に並ぶという習慣がない。軍隊や警察の隊列でさえ、背の順ではなく、頭の線はボコボコになっている。・・・・・・――”『進化しない日本人へ』より抜粋
ジャンル:一般書
評価:☆☆☆☆
この本のカバーが、国旗そのものであり、しかもタイトルが挑戦的なものだから、ついついナショナリズム的な内容かと誤解してしまいがちだが、この本に書かれてあることはその対極にある。
読み終えてから、この本が1988年に出版された本だと知って驚いた。読み進めている途中で多少の違和感を感じたものの、90年代後半の出版かと思っていた。この本に書かれてあることは、現代にも通用する先見性を持っている。この著者は、この本を書いている時点でオーストラリアの大学主任教授である。アメリカでもなく日本でもなくオーストラリアに彼は住んでいて、そのことによって、日本とアメリカを客観的な視点で考察している。
面白いのは、第一章の「英語帝国主義」という言葉。日本で、何故これだけ英語を学ぶことが流行っているのか?誰しも一度は考えた事があるだろうけれど、この著者はその点を鋭く追及している。アメリカに追随してきた日本。アメリカを憧れてきた日本。その結果、今の現代では英語といえばアメリカ英語なのだ。オーストラリア英語でもなく、ニュージーランド英語でもなくカナダ英語でもない。最近、やっとTOEICのリスニングに世界各国のスピーカーを採用するようになったが、それまではアメリカ人のネイティブスピーカーのみだった。
どんなことでもそうだけれど、自分がその渦中にいる時は、概して自分の状態を知りにくいものだ。終わってみて、過去を回想して、ああ、そうだったのか、と気付いたりする。これと同じことが自国への理解にも当てはまる。つまり、日本を知るには日本を離れることである。日本を離れて異国で暮らすことは、日本を客観視する力をつけることに繋がる。そしてそのことは、日本の不可解な点を浮かび上がらせてくる。
著者が紹介している例として、戸籍がある。日本では戸籍や住民票があるのが当たり前だと思われているけれど、この制度は英語圏にはない。この事実は戸籍が本当に必要なものなのかどうか、再考の予知があるということを示しているのではないだろうか。実際に、私たち日本人は戸籍によって細かく国に管理されている面がある。未だに、在日朝鮮人、もしくはその他マイノリティの方に対しての社会的差別がなくならないのは、この戸籍が関連していることも一理あると思われる。
これからを生きていく日本人必読の本。

2005.12.07 Wed l 考えたい気分 l COM(0) TB(0) l top ▲