問題少女―生と死のボーダーラインで揺れた
問題少女―生と死のボーダーラインで揺れた

 年間3万人を越える人たちが自分の命を絶っている時代だ。この本で紹介されている少女も、特に珍しいケースではないのかもしれない。しかし、この本を読むことで見えてくることがある。当事者で無ければ分からないことが、僕にも少しだけ見えてきた。
 まず、現在の精神医療の問題点がこの本では浮き彫りになっている。精神科医とカウンセラーの間に、しっかりとした連携が成されていない場合があるということ。特に、この本のケースではそれが顕著だ。実際に精神科医とカウンセラーの間に、診断のズレがあった。
 そしてもう一つは、カウンセラーの質。近年、心に病を抱える人は増加している。家族の問題、学校の問題、会社の問題・・・・・・様々なことが挙げられるだろう。政府は、ただ単にその場所にカウンセラーを配置すれば良い、増員すれば良いと言う。しかし、これは本質を見誤っている。カウンセラーを増やせば問題は本当に解決するのだろうか?果たしてそのカウンセラーは、しっかりとした知識を持ち、独りよがりになることなく公平な診断をし、何よりも患者を最優先に考えることが出来る人物だろうか?
 この本に出てくるカウンセラーは、素人目で見ても、明らかにカウンセラー失格なのだ。このカウンセラーはユングに傾倒しすぎていて、患者の夢で全てを診断していたような節がある。最後には少女に対して、「霊とか魂の専門家を紹介します」と言っているのだ。ユング派が全て悪いとは思わない。実際にこの本で書かれているように、ユング派の人たちがいることにより、救われている患者もいるのだから。ただ、それにも限度があるだろう。誰が、好き好んで、先ほどのような言葉をさも当然のごとく言うカウンセラーに診てもらいたいと思うだろうか。いや、もしかすると、精神が弱っている状態においてはそれが、神の言葉に匹敵するほどの価値があるのかもしれない。そうすれば一時的にでも救われるのかもしれない。しかし、それでは本質を見誤っているように思えてならないのだ。
 そもそも、僕がこの本を読む前に思っていたカウンセラーというのは、しっかりとした幅広い知識を持っていて、客観的にアドバイスをくれる人たちだと思っていた。しかしながら、これはただの理想であり、実際には明らかに力不足であったり、自分の考えを意固地に推し進めようとしたり・・・・・・といった人も少なからずいるということらしい。この状態は今すぐにでも改善しなくてはいけないだろう。
 
 人が死んでしまう理由はたった一つだけじゃない。学校でいじめられて自殺した・・・・・・その全ての子どもたちがいじめられたことだけを苦にして自殺したのではないだろう。きっと色々な小さなことが積もりに積もってある時に境界を越えて溢れ出してしまって、一線を越えてしまったのだろう。そういう意味で、人が自殺をした場合、単純に原因を割り出そうとすることは、単に残された者達の「分かったつもり」を促す行為でしかないということを僕たちは肝に銘じなければならない。
 その上で、どのようなことが自殺の抑止に繋がるのか。この問題少女は、自殺行為をする直前に誰かに小さなSOSを発している。ただ、それに気付くことは非常に難しいと言わざるを得ない。よって、そこまで到達してしまう前に、何らかの形でケアをしなければならない。まず、精神、心療内科、カウンセラーの質の拡充が不可欠であることは言うまでも無い。その上で、不足しているならもっと充足する処置をする。また、自殺、自傷を繰り返す人はしばしば、孤独である。この本の問題少女には、「彼氏」がいたが、それは一対一の密で閉じた関係でしかない。彼女には本当の意味での友人が一人もいなかった。そのことが、自殺の直接の理由と言いたいわけではない。ただ、もっと他者との交流をしていたら・・・・・・線ではなく、網の目のような交流を出来ていたら・・・・・・彼女は死ななかったかもしれない、という著者の言葉にはっとさせられた。
 人との関係で傷付いた心は、でも、人との関係でまた少しずつ回復していくのだ。人間は一人では生きられない。この事は裏を返せば、1人で生きていってはいけないということのなのだ。無人島で一人で何年も暮らすのには、ものすごくタフな精神力が要る。でも、僕たちにそんな力は要らないのだ。誰もが他者を必要としていて、それで良い。一人で生きていけるなんて、それはやっぱり嘘で、かといって、他者を全面的に信頼できるかと言ったら、それも嘘で・・・・・・だから、まず自分で自分を信頼して、その上で他者と生きていくということが自分にとってプラスになる・・・・・・というのが理想であろう。

 余談だが、この本は、内容的には良い本だと思うが、カギカッコの言葉が、誰の言葉なのか曖昧な箇所が幾つか在ったり、時間軸が前後した文章記述になっている箇所があったり(これは作者が意識的にそうしたのだろうが)という点で、少し読みにくい。もう少しスッキリ書けたのでは?ということと、この著者自身の主観が入りすぎていて、客観化され切っていないという印象を受けたことが最後まで尾を引き、評価が低くなった、ということだけ付け加えておく。
スタイル:ノンフィクション(ハードカバー)
評価:☆☆

2007.01.23 Tue l ノンフィクション l COM(0) TB(0) l top ▲
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

″「あのぅ、何してるんですか?」
 女の子は口元に手を当てながら、目だけを動かして「じろり」とオレを見た。
「・・・・・・待ってるのよ」
「な、何を?」
「あたしの敵を」
「はぁ?」――"『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』より抜粋
スタイル:小説(文庫)
評価:☆☆☆

 なんとも感想をつけにくい小説だ。同作家の『NHKにようこそ!』よりも良い印象を受けたが、こちらがデビュー作ということで、なんだか力が抜けてしまう。チェーンソー男=敵として、主人公の高校生の男とヒロインの制服美少女が、力を合わせて闘う・・・・・・それが、この物語の核になっている。しかし、その核の部分がなんとも曖昧なのだ。それは、動機である。何故、彼らは闘わなければいけないのか?その理由がはっきりと書かれていない。あえて書いていないと思うが、それにしたって、荒唐無稽すぎるのだ。最終的に、チェーンソー男が死んだのかどうかさえ、はっきりとしない。
 そういうことを一切気にしないで読んでしまえば、いや目を瞑ってしまえば、まぁ面白いと思うのだが。
 余談だが、何故この作家のヒロイン役の少女は一辺倒に美少女で、いきなりキレて、足蹴りなどを繰り出すのだろうか。「NHK・・・・・・」でも、ほとんど同じ設定の少女が出てきたと思うが。それが、滝本流ということだろうか。
2007.01.20 Sat l 小説 l COM(0) TB(0) l top ▲
数奇にして模型
数奇にして模型

″萌絵は、一瞬だけ、それを理解した。
閃光のように・・・・・・。
けれど、わかった、と思った瞬間、わからなくなった。――"『数奇にして模型』より抜粋
スタイル:小説(ノベルス)
評価:☆☆☆

 小学生の頃、模型・・・・・・プラモデルを作ったことがある。作ったことがある、という表現からも分かるように、僕は率先してそれらを作っていたわけではない。
 僕が幼い頃は、男の子は、プラモデルを作ったりサッカーをしたり・・・・・・女の子は、お人形で遊んだり、ゴムとびをしたり・・・・・・といった暗黙のルールみたいなものがあった。それは性別によってはっきりと二分されていた。そして、その二分された境界を越える遊びをすること・・・・・・男である自分が人形ごっこをしたり、ゴムとびをしたりすることは、心のどこかで恥ずかしいことだと思っていた。だから逆に言うと、僕は男の子がする遊びばかりをしていた。別に、女の子がする遊びに特別興味があったとかそういうことではないから、これはこれでよかったのかもしれない。しかし、僕はプラモデルを作るということに対しては、あまり面白みを感じたことはなかった。
 確かに作っている時は楽しいと思った。けれど、それは作っている間だけだ。完成して、棚にキレイに整理して並べたら、もう既にそのプラモデル自体に対しては興味を失っていた。そういうものが、模型なのだと言われればそれまでなのだけれど。
 先日、秋葉原に行く機会があったので、フィギアなどを売っている店に入ってみた。完成されたフィギアが所狭しと並んでいて、値段は高いものだと何十万もするものがあった。安くても大抵は1万円を越えていた。
 これらを買う人たちは、買ってただそれを自宅において時々眺める・・・・・・というためだけに買うのだろうか?僕にはその思考がよく分からない。かと言って、それを否定するつもりも全く無いが。ただ、もし僕が買うとしたら、未完成のものを買うだろう。完成された後はオークションにでも売ってしまいたくなるかもしれない。これは単に所有欲が無いだけの話か。

 この小説については、まぁ面白かったという所。ただ、この犯人に関してはどうなのだろう。裏の裏をかいて表だった・・・・・・ということ。これはこれで、上手いなと思ったけれど。

2007.01.13 Sat l 小説 l COM(0) TB(0) l top ▲
きいろいゾウ
きいろいゾウ


″外は阿呆のように明るくて、馬鹿みたいな空が、まぬけな顔でそこいら中を青に染めている。庭の草や木はその青に負けまいと、自慢の緑の体を大きく伸ばして、少しでも太陽に近づきたい、そして風のリズムに乗り遅れまいとして、ちょっとだけ緊張している。――"『きいろいゾウ』より抜粋
スタイル:小説(ハードカバー)
評価:☆☆☆☆
 底抜けに明るい人になりたい、と思ったことがある。いつ見てもあの人はとっても前向きで、素敵な笑顔をしていて明るくて・・・・・・そういう人に憧れたことがある。彼らの傍にいると、確かに、自分の気持ちまでもが、ふわふわと幸せで浮き上がってくるようなそんな気持ちになれたから。
 この小説は冒頭、すごく明るい。田舎で暮らす若い夫婦。彼らを取り巻く環境は、自然に囲まれていて、動物や虫の音でいつも喧しい。けれど、それは光溢れた生命との共生に繋がっていることを示していて、なんだか羨ましい。このまま、ずっと平和な感じが続くのかと思っていた。しかし、少しずつ綻びが生まれる。最初は小さなものだったのに、気が付いたらお互いにとって、お互いの気持ちが分からなくなっていく・・・・・・。

 結婚ということについて考えてみた。他人と生活を一緒にするということ。この人と一生を共に生きていこうという終わりの無い約束をするということ。
 本当に大切だから、相手に言えない想いがある。それらが少しずつ容器に溜まっていき、やがてその容器から溢れ出す。一度溢れてしまったものは、なかなか元に戻すのが難しい。けれど、それを乗り越えていくことが出来なければ、結婚などそもそもするものでは無いと思う。
 当然なのだ。すれ違いが起こるのは。いくら血の繋がった家族であっても、それは常に起こりえることだ。一人一人が、自我を持っているのだから、衝突することもあるだろう。それによって傷つけられることもあるだろう。けれどそんな時にこそ、どれだけ相手を思いやれるか・・・・・・ということに尽きるのではないか。そして、それは、やはり言葉にしなくては伝わらないことがあると両者がお互いに自覚し合うことなのではないか。自分の中に溜めてしまう前に、適度にお互いに言いたいことを言い合える・・・・・・そんな関係を構築すること。
 ものすごくスタンダードなことを書いているが、これこそが簡単なようでいてとても難しいのかもしれない。もちろん、これは全て僕の考えに過ぎないし、結婚もしてないから何の根拠も無いのだけれど。

 僕はこの本を読む前、正直言って、そんなにたいしたことない本だと思っていた。この作家の本を読むのは初めてだったし、何よりこのタイトルと、表紙の絵が、なんとも子供向けな印象を与えていたからだ。
 けれど、その考えは嬉しい方向へ裏切られた。この小説の中の登場人物たちはちゃんと生きている。息を吸って吐いて・・・・・・そういった生々しさが感じられる。それに、時折くすっと笑える箇所があったり、登場人物の心に共鳴出来る部分があったり・・・・・・。これらはひとえにこの作家の力に違いない。
 肩肘が全く張っていない。至って自然なのだ。そこがこの本の・・・・・・もしかしたらこの作者の文体の魅力なのかもしれない。

 最後に1つだけ付け加えておこう。
 
 この本は、大いなる恋愛小説である。
2007.01.06 Sat l 小説 l COM(2) TB(0) l top ▲