コールドゲーム

″「光也はいいよ。絶対に狙われないもんな。廣吉に何もしてないだろ」
「うん、何にもしていない」
していない。本当に何もしなかった。目の前で悲鳴を上げていたのに。――"『コールドゲーム』より抜粋
スタイル:小説(文庫)
評価:☆☆☆
中学生だった。僕はいじめられて、そして、いじめてもいた・・・・・・多分。
どこからどこまでがいじめなのだろう。目の前で誰かがいじめられていて、それを止めない傍観者はいじめをしている加害者と同罪だろうか。しかし、もしそのいじめを止めたら、今度は自分がいじめられるのだ。その繰り返し。終わりが無い。
いじめをしている側に罪の意識など、きっとない。だから彼らにとっては、いじめている相手なんてそうたいした問題ではない。きっとそこら辺の人形と一緒なのだろう。殴ったり、暴言を浴びせてストレスを解消する対象。
彼らの意識を変える事は難しい。強制的にでも、第三者の力を介入させ、いじめた側といじめられた側がその後一定期間に渡り、交流が一切出来ないようにするべきだ。ここまで書くと大げさだと思われるかもしれないが、既にそこまでしないと、いじめというのは解決しない域にまで到達している。
書評へ。
高校3年の夏、中学時代のクラスメートが次々に襲われていく。犯行予告から、当時いじめの標的だった廣吉の仕業ではないか・・・・・・という憶測が流れて・・・・・・。
この本はミステリーだ。だから、ラストのどんでん返し的な部分はなかなか面白かった・・・・・・ただ、個人的には先が読めてしまったのでちょっといまいちな感があるけれど。でも、この本の扱っているテーマ。いじめられた側の負った心の傷。そして、復讐。そういう点を色々考えると、単にミステリーとして面白かったという感想ではなくなる。妙にリアルで、本当にこんな事件があっても不思議ではないと思う。
想像してみて欲しい。クラスメートの半数以上から、いじめられている。担任教師でさえも、それを助けるどころかいじめに加担して心ない言葉を浴びせてくる。誰も助けてくれない。「臭い」「きたない」「バイ菌」と言われる。窓から外へ出るのと、パンツを脱ぐのとどっちが良いか選択させられる・・・・・・。そんな毎日が一年間続く。
僕だったらとても生きられないと思う。そんなことをされた相手に対して、いつか復讐してやる・・・・・・そう思ってしまう気持ちも分かる気がする。けれど、当事者たちにしてみれば、明らかな確信犯以外は、その人物に睨まれないように、次のいじめのターゲットに自分がならないように・・・・・・そういう気持ちで、いじめを行っていたのだろう。それをよく表す一文が本書にも出てくる。
「俺たち、そんなにひどいことしたかな。あの時は、しょうがなかったんだよ。自分だけやらないとクラスで立場がなくなっちゃうって感じで・・・・・・」
これは、クラスメートの一人が発した言葉だ。集団で生まれる力関係。その中で逆らってはいけない者に対する恐れ。面倒なことに関わりたく無いという気持ち・・・・・・そういうものを生み出すのが集団の宿命ではないかと僕は思う。
閉鎖された教室。いじめを隠そうとする教師たち。いじめはいけないと言いながら、いざ自分がその状況に立ったら、きっと何も出来ない傍観者の大人たち。集団になれば、いじめは起こってしまうのだ。もちろん、いじめが起こる前の対策をすることはもちろん必要である。けれどそれ以上に、起こってからどうするか?が重要なことは言うまでも無い。
最近、文部科学省はゆとり教育を見直して、また学力主義に戻そうとしている。夏休みの短縮や卒業試験の導入など。この政策自体が良いか悪いかを、ここで述べるつもりは無い。ただ、危惧されるのは学力を重視するようになれば、ますます子どもたちに掛かるストレスが増える。ということはつまり、ストレスのはけ口として行われるいじめも増えるということに繋がらないだろうか。
いじめられている人で、助けを求めてもそれが得られなかった人は、もう学校に行かなくて良いよ。そんな場所からは逃げるが勝ちなんだから。
いじめている人は、そんなくだらないこともう止めようよ。もっとクールで面白いことたくさんあるんだからさ。

″「光也はいいよ。絶対に狙われないもんな。廣吉に何もしてないだろ」
「うん、何にもしていない」
していない。本当に何もしなかった。目の前で悲鳴を上げていたのに。――"『コールドゲーム』より抜粋
スタイル:小説(文庫)
評価:☆☆☆
中学生だった。僕はいじめられて、そして、いじめてもいた・・・・・・多分。
どこからどこまでがいじめなのだろう。目の前で誰かがいじめられていて、それを止めない傍観者はいじめをしている加害者と同罪だろうか。しかし、もしそのいじめを止めたら、今度は自分がいじめられるのだ。その繰り返し。終わりが無い。
いじめをしている側に罪の意識など、きっとない。だから彼らにとっては、いじめている相手なんてそうたいした問題ではない。きっとそこら辺の人形と一緒なのだろう。殴ったり、暴言を浴びせてストレスを解消する対象。
彼らの意識を変える事は難しい。強制的にでも、第三者の力を介入させ、いじめた側といじめられた側がその後一定期間に渡り、交流が一切出来ないようにするべきだ。ここまで書くと大げさだと思われるかもしれないが、既にそこまでしないと、いじめというのは解決しない域にまで到達している。
書評へ。
高校3年の夏、中学時代のクラスメートが次々に襲われていく。犯行予告から、当時いじめの標的だった廣吉の仕業ではないか・・・・・・という憶測が流れて・・・・・・。
この本はミステリーだ。だから、ラストのどんでん返し的な部分はなかなか面白かった・・・・・・ただ、個人的には先が読めてしまったのでちょっといまいちな感があるけれど。でも、この本の扱っているテーマ。いじめられた側の負った心の傷。そして、復讐。そういう点を色々考えると、単にミステリーとして面白かったという感想ではなくなる。妙にリアルで、本当にこんな事件があっても不思議ではないと思う。
想像してみて欲しい。クラスメートの半数以上から、いじめられている。担任教師でさえも、それを助けるどころかいじめに加担して心ない言葉を浴びせてくる。誰も助けてくれない。「臭い」「きたない」「バイ菌」と言われる。窓から外へ出るのと、パンツを脱ぐのとどっちが良いか選択させられる・・・・・・。そんな毎日が一年間続く。
僕だったらとても生きられないと思う。そんなことをされた相手に対して、いつか復讐してやる・・・・・・そう思ってしまう気持ちも分かる気がする。けれど、当事者たちにしてみれば、明らかな確信犯以外は、その人物に睨まれないように、次のいじめのターゲットに自分がならないように・・・・・・そういう気持ちで、いじめを行っていたのだろう。それをよく表す一文が本書にも出てくる。
「俺たち、そんなにひどいことしたかな。あの時は、しょうがなかったんだよ。自分だけやらないとクラスで立場がなくなっちゃうって感じで・・・・・・」
これは、クラスメートの一人が発した言葉だ。集団で生まれる力関係。その中で逆らってはいけない者に対する恐れ。面倒なことに関わりたく無いという気持ち・・・・・・そういうものを生み出すのが集団の宿命ではないかと僕は思う。
閉鎖された教室。いじめを隠そうとする教師たち。いじめはいけないと言いながら、いざ自分がその状況に立ったら、きっと何も出来ない傍観者の大人たち。集団になれば、いじめは起こってしまうのだ。もちろん、いじめが起こる前の対策をすることはもちろん必要である。けれどそれ以上に、起こってからどうするか?が重要なことは言うまでも無い。
最近、文部科学省はゆとり教育を見直して、また学力主義に戻そうとしている。夏休みの短縮や卒業試験の導入など。この政策自体が良いか悪いかを、ここで述べるつもりは無い。ただ、危惧されるのは学力を重視するようになれば、ますます子どもたちに掛かるストレスが増える。ということはつまり、ストレスのはけ口として行われるいじめも増えるということに繋がらないだろうか。
いじめられている人で、助けを求めてもそれが得られなかった人は、もう学校に行かなくて良いよ。そんな場所からは逃げるが勝ちなんだから。
いじめている人は、そんなくだらないこともう止めようよ。もっとクールで面白いことたくさんあるんだからさ。

